さて皆さんにお聞きします!
『極寒の寒い雪山で雪洞ツアーをやります!』
って言ったら参加したいと思いますか?
多分、日本人の99.9%以上の方が絶対やりたくないと答えるのではないかと思います(笑)
中には体験だけでもしてみたいって方はいるかと思いますが、わざわざ不便で過酷な環境で
一夜を過ごすなんてありえないでしょうね!
私が20代後半の頃、1月から2月にかけて毎週末、雪山へ行っては雪洞を掘って一夜を過ごし
てました。
それも常に単独でした。
どんな天候だろうと関係なく行ってました!
もちろん今は改心して条件の良い時しかいきませんけどね(笑)
でも、当時は毎回泊まるごとに雪洞内でこう思いました。
『まだこんな時間なのか?早く朝がきてほしい…』
『温かい部屋で布団に入ってぐっすり眠りたい』
『トイレに行きたいけど、寒くて外に出たくない』
望んでいくわりには、行動と心の内面が矛盾していますよね(笑)
でも行きたくなるのです!
雪洞内では、行動を停止して完全に雪洞内に入ってしまうとやることがないので、とにかく暇
なんですね。
呪文のように、寝袋に入りながら頭の中で常にそのような言葉が巡っていた記憶があります。
『じゃーいかなきゃいいじゃん!』
って思うでしょ?
でも、不思議なことにまた雪洞泊したくなるんですよね(笑)
私はおもうんですが、やはり不便な環境で肉体的にも辛い条件で生活すると、日々の生活
にとてつもない刺激や新鮮さを感じることがあるのです。
それを雪洞で一泊すると、とんでもない威力で私達のメンタルに鮮度のある刺激を容赦なくぶち込んできます!
皆さんも考えてみてください!
今では世の中のインフラが充実しすぎて昔のような不便さがなくなってしまってませんか?
スマホが登場してからは、欲しい情報はすぐに手に入るし、各種アプリを使うことにあらゆるサービスが利用でき、デジカメや自動車のナビを必要としない人が増えてきています。
そんなかんだで、私達はより便利で楽で快適な暮らしを望み続けているため、これからも世界はより人が望む姿へと変わっていくことになると思います。
ですが、それにあえて逆行する不便、苦行、不快的な生活を一時的に体験することは意外にも面白いものなんです。
その体験を通じることで、いかに現代の生活が恵まれすぎているのか、いかに現代のインフラに依存しているのかを痛感することになるでしょう!
私達は思った以上に『超へなちょこ人間』で、昔の人たちがとんでもなく勇ましく感じることになると思いますよ!
だからこそ、日々の生活に慣れ過ぎてしまうと、それが当たり前になってしまい、傲慢な考え方になってきてしまいます。
生活水準の向上は、人間の心を傲慢で合理的な考え方しかできないドライな人間に変えてしまうリスクがあるものだと思っています。
でも、それって人と人との繋がり自体もドライな感じになっていると思うんですよね。
もっと泥臭くて不快的な環境だけれども、あえてその環境に身をおくことは、慣れて凝り固まった考えや心をほぐしてくれる新鮮な機会だと私は思っています!
雪洞泊、またはテント泊でも良いですが、過酷な環境で一晩を過ごすことで得られるもの…それは、
『生きている実感』
その一言につきます!
そして、ちょっぴり優しい気持ちになれるとおもいます!
それがどんなものなのか、以下の記事を読んで頂けると、もしかしたらほんの少し理解してもらえるかも!
本当に理解したい方!
雪洞ツアーへのお越しをお待ちしています(笑)